お父さんの大事な話

~ 子供に伝えたい!! お父さんの熱い思いをひたすら語るブログです ~

ならぬ堪忍するが堪忍

ホントの「堪忍袋」はどんなだろう?

 

 「ならぬ堪忍するが堪忍」とは、「我慢できないことをこらえるのが、本当の忍耐というものである」、「とても堪忍できないようなことを堪忍するのが本当の堪忍である。誰でも我慢することは我慢のうちに入らず、とても我慢できないところを辛抱するのが大切である。」(デジタル大辞泉)という意味だ。

 

 そして、「堪忍」は「怒りを抑えて、人の過ちを許すこと。勘弁。」「肉体的な痛みや苦しい境遇などをじっとこらえること。我慢すること。忍耐。」(デジタル大辞泉)という意味だ。

 

 人間、生きていれば辛いことや苦しいこと、腹の立つことは山ほどある。

 

 あなたたちなら勉強やクラブ活動かな。やりたくない勉強に向き合うことは我慢がいることだ。宿題がたくさん出たり、受験勉強ならなおのこと遊びたい時間を削って勉強に向き合わなければならない。

 

 クラブ活動でも辛いトレーニングや練習もあるだろう。また、クラブ活動と勉強の両立も大変だ。

 

 大人でも、仕事をたくさん任されて大変なこともある。量的なことはもちろん、内容的に難しい案件に取り組まなければならず頭を抱えることもある。

 

 そして、子供から大人まで共通していろいろあるのが「人間関係」だ。

 

 よく、テレビや新聞のニュースで子供の「いじめ」問題が報道されることがある。これは残念ながら大人でもあることだ。学校の先生の間でも「いじめ」があったというニュースがあったくらいだからね。情けない話だよ。

 

 「いじめ」に限らず、腹の立つことが一番多くて厄介なのが「人間関係」で、様々な場面で我慢を強いられる。

 

 学校のクラスやクラブ活動、仕事仲間や取引先、ご近所や果ては本来仲が良いはずの家族や親族まで・・・

 

 昔、ある政治家が「好きだ、嫌いだ、コンチクショーで回っているのが政治の世界」と言ったという話があるけど、政治の世界に限らず世の中のほとんどが「好きだ、嫌いだ、コンチクショー」で回っている。

 

 相手を変えようと思ってもなかなか変えられない。自分が変わるしかない。めちゃめちゃ腹が立つこともあるけれど、それを何とか我慢して受け流していくしかない。

 

 前に「負けていけ」という話をしたけれど、「負けていく」しかないんだよ。そうすると不思議なことに、自然に「時間が解決」してくれる。(これも前に話したね。あとでリンクを貼っておくね。)

 

 あなたたちもこれからいろいろな人と出会って、いろいろな困難にぶち当たると思うけど、そんなときはお父さんの話を思い出して乗り切ってほしい。

 

 人間、人に傷つき人に救われて生きていくんだ。

 

 これは、人として生まれた以上、避けては通れない。

 

 とにかく「辛抱」だ。

 

 

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「ちょいトレ」

常に今日からがスタート!!

 

 人間40歳を過ぎると、だんだん体の衰えを感じ始めるもんだ。

 40歳は、昔から「初老(しょろう)」といって、老人の域に入りかけた年ごろなのだそうだ。最近は寿命が延びたので50歳から60歳前後をさすことが多いとか。

 

 でも、お父さんもやはり40歳を過ぎたころから、筋力の衰えや少しずつ老眼になって近いところが見えにくくなったり、思った単語がパッと出ないとか短期記憶の衰えなどを感じるようになった。

 

 40歳なんてまだまだ若いと思ったけど、「初老」とはうまいこと言ったもんだなと感心したよ。

 

 あなたたちもまだ小さかったので、まだまだ健康で働かなきゃいけないから、少し運動しなきゃな、と思ってた。

 

 40歳から46歳ころまでは、仕事の関係で重要な役職に就いたこともあって、なかなか運動もできなかったけれど、それが終わったころから少し何かしようと思って、朝10分ほど、距離にして1.5㎞くらいかな?走ったり歩いたりすることにした。

 

 その他にもいつごろからか忘れたけど今やっている運動のは次のとおり。

 ・腹筋を20回

 ・腕立て伏せを30~40回

 ・鉄アレイを使って腕(上腕二頭筋)の運動を30回

 ・背筋20回(椅子に座って4㎏の鉄アレイを使って無理のないように)

 ・スクワット30回を2セット(4㎏の鉄アレイを両手に持って)

 

 だいたいこんな感じだ。フルでやっても10分程度

 でも、毎日はフルにできない。

 時間と気持ちに余裕があるときはフルにやるけど、そうでない時はこれらのうちのいくつかできればいいや、くらいの感覚だ。お父さんはこれを自分で勝手に「ちょいトレ」と言っている。「少しのトレーニング」ということ。

 

 他にも歯磨きの時にかかとの上げ下げを50回~100回ほどやったり、握力維持のためにお風呂の中でグーパー、グーパーと手を閉じたり開いたりして、ちょっとしたときにも無理のない範囲で体を動かすようにしている。

 昔は、20~30分走ったり、腹筋を50回~80回くらいやったりしたこともあるけど、キツイと続かないんだな。続かないと結局やめてしまう。やめてしまうと意味がないんだよな。

 

 前置きが長くなったけど、本当に伝えたいことはこれからだ。

 

 そこで、お父さんは今どういう考えでこの「ちょいトレ」をやっているかというと、

 

 ・できない自分を責めない

 ・やらないよりやった方がまし

 ・常に今日からがスタート

 

 と、思ってやっている。

 

 最初に、理想や志が高すぎると続かないんだな。途切れた時に次にやる気が起こらない。

 メニューを作って、それを完璧にやろうとすると心の負担になっちゃう。途切れると終わっちゃう。0か100なんだな。それじゃあ長続きしないことに気がついたんだ。

 

 だから、まったく「ちょいトレ」ができない日が何日か続いたとしても、別に気にならないし、「あ、最近やってないな、サボってしまったから今日からまたやろう」くらいの感じでいいと思ってる。

 

 高校に入ってから、お姉ちゃんは部活動が忙しくてなかなか勉強ができないから悩んでいるようだけど、あまり完璧を求めすぎないでお父さんの「ちょいトレ」の精神で、できることから少しづつ頑張ったらどうかな、と思う。

 

 今年は、3年生になっていよいよ大学受験。でも、部活動も強化部活で受験直前まで活動があるからなあ…

 

 そばで見てても、部活と勉強の両立は本当に大変だろうけど、「ちょいトレ」精神で何とか頑張って乗り越えてほしいね。

 

 ま、それよりまず先に朝はちゃんと起きることからだな…(笑)

 

 将来、振り返った時に、「めちゃしんどかったけど充実した高校3年間だった」と思えるようになることをお父さんは祈っているよ。

 

 

「だろう運転」と「かもしれない運転」

今日も安全運転で!

 

 新しい年が始まったね。

 

 昨年は元日から能登半島地震が発生し、大変な年明けになった。能登地方は、追い打ちをかけるように9月にも豪雨災害が発生し、さらに被害が拡大した。

 

 被害に遭われた方たちは、我々の想像を絶するご苦労がおありだと思う。復興はまだまだ道半ばだけれど、一日も早い復興と被害に遭われた方々が安らかな日常を取り戻せるように願うばかりだ。

 

 さて、わが家を見れば、今年はお兄ちゃんが高校受験だね。

 まあ、それなりに頑張っているようだけど、公立高校受験まであと残り2か月(私立受験は1か月)、気を抜かないように頑張ってほしいね。

 

 模擬試験の結果も、はじめは良くなかったけれど、最近はここ数回いい判定が出ているようだ。しかし、模擬試験はあくまで模擬試験。

 

 これから合格ラインぎりぎりの人は必死になって勉強して上がってくるし、また、上位校志望で合格ラインに微妙に届かない人が志望校を下げてこちらに来る可能性もある。

 

 ようは上からと下からのサンドイッチで、本番の試験ではより競争が厳しくなる可能性があるということだ。

 

 話は飛ぶけど、車の運転で「だろう運転」「かもしれない運転」というのがある。

車の教習所での講義や、運転免許証の更新の際の講習でよく出てくる話だ。

 

 「だろう運転」というのは、横断歩道があっても「ここは普段から人通りが少ないから人は渡ってこないだろう」とか、見通しの悪い交差点でも「車は来ないだろう」と自分に都合の良い楽観的(らっかんてき=物事をうまくゆくものと考えて心配しないさま[デジタル大辞泉])な予想で車を運転することだ。

 

 これに対して「かもしれない運転」というのは、「人が急に飛び出してくるかもしれない」とか「前の車が急に停まるかもしれない」など、常に危機意識をもって安全に運転することだ。

 

 これは、運転に限らずいろいろなことに当てはまる。仕事や日常生活の中でも物事を行うのに、「大丈夫だろう」と楽観的に考えるのではなく「ひょっとしたら…かもしれない」などと慎重に考えることが大事だ。

 

 お兄ちゃんもここ数回の模擬試験の判定が良いからと言って、「もう大丈夫だろう」と手を抜いてしまうと、思わぬ落とし穴が待ち受けているかもしれない。

 だから「ひょっとしたらまだ勉強が足らない(危ない)かもしれない」と思って、最後まで手を抜かずに頑張ってね。

 

 そうすれば結果はおのずとついてくる!!

 あと、もう少し頑張れ!!

 

 

会うは別れの始め

おじいちゃんの形見

 

 9月におじいちゃんが亡くなったね。88歳だった。

 

 あなたたちにとっては、優しいおじいちゃんだっただろうけど、お父さんにとっては厳しくて怖くもあり、また思いやりのある優しい父親だったよ。

 

 お父さんのお兄さん、あなたたちから見たらおじさん夫婦が一生懸命自宅で介護してくれたおかげで、おじいちゃんは今ではめずらしく自宅で最期を迎えることができた。

 

 「会うは別れの始め」というけれど、本当にその通りだね。

 

  これは、「人と人とが出会うのは、いつか別れる時が来るということでもあり、会うことは別れることの始まりであるとも言える」(学研 故事ことわざ辞典)という意味だ。

 

 親子、兄弟、親戚、友人、知人、みんな例外なくいつかはお別れしなくちゃいけない。

 

 おじいちゃんも80歳を過ぎてだんだん衰えて、いつかはお別れしなくちゃいけないと覚悟していたけれど、とうとうその時が来たね。

 

 でも、多少は別れの淋しさはあるけど、悲しくはないな。

 

 なぜ、悲しくないかって?

 お父さんって冷たい?

 

 突然の事故や病気で亡くなった場合はそうはいかなかっただろうけど、年齢のこともあり覚悟していたからね。

 

 それと、悲しまなくてすんだのは、昔、お父さんが経験したことが影響していると思うので、それについて少しお話しするね。

 

 まず、お父さんが初めて人が亡くなってお別れしたのを経験したのは大じいさまが亡くなった時だ。当時、お父さんは小学校5年生だった。

 

 朝、7時半ころに亡くなったんだけど、お父さんはもう学校に行っていて家にはいなかった。学校に連絡があって、慌てて家に帰るとおばあちゃん(お父さんの母親)が、すごく冷静に亡くなった大じいさまの体を拭いたり整えたりしていた。

 

 お父さんは、そばにあった椅子に伏して大泣きしていた。大事なものをもぎ取られた様な気がしてね。子供だったからやっぱり悲しかったんだな。

 

 その後、おじいちゃん(お父さんの父親)も仕事に行っていたのを切り上げて帰って来たんだけど、帰って来た時は、亡くなった大じいさまの前で正座して一礼して、その後は冷静にお葬式の段取りとかをしていた。

 

 おじいちゃんもおばあちゃんも悲しんで泣いたりとか取り乱したりすることはまったくなかった。それを見たお父さんは、はじめは「おじいちゃんとおばあちゃんは大じいさまの養子で本当の子供じゃないから悲しくないのかな?」と、思っていた。

 

 二人とも養子だったからね、大じいさまの実の子供じゃなかったからそう思ったんだな。なんかちょっと冷たい感じさえその時はしたんだ。

 

 それから十数年後、お父さんが大人になって20歳代になった時だ。知り合いのあるおじいさんが亡くなりそうだったのでお見舞いに行ったの。そうしたら、そのお子さんもお見舞いに来ていて、すでにものも言えなくなったおじいさんの手を握って涙を流して最後になるだろう対面をしていたんだ。

 

 お子さんと言ってもお父さんよりもだいぶん上だよ。そのお子さんは、別に変な人でもないし悪い人でもないけれど、そのおじいさんはそのお子さんのことを以前からいろいろと心配していたんだよね。

 

 それを見てお父さんは、「亡くなりかけてものも言えなくなってから、悲しんで涙を流しても遅いよな。もっとおじいさんの元気な時から心配かけずに安心させてあげたらよかったのに・・・」と、思ったの。もちろんその光景自体は悪いことではないし、よくあるお別れのシーンだとは思うけどお父さんはそう思っちゃったんだな。

 

 そう思うのと同時に、ふと昔の大じいさまが亡くなった時のおじいちゃんとおばあちゃんの対応を思い出したんだ。

 

 あの時、冷たい感じさえしたあの対応は「おじいちゃんもおばあちゃんも一生懸命大じいさまに仕えてきたから、そういう悲しむとか取り乱すとかなかったんだな、自信をもって見送っていたんだな。」ということに気がついたら、うちのおじいちゃんとおばあちゃん(お父さんの両親)は「すごく偉かったな~」と思うようになったんだ。

 

 大じいさまは、晩年は寝たきりでおばあちゃんが一生懸命お家で介護していたからね。もちろん一人では無理なので親戚のおばさんなどにもたくさん手伝ってもらって助けてもらっていたけど。(おばさんたちに感謝!!)

 

 在宅介護だったから、当時は家族旅行もしたことないし、外食もない、両親と一緒に出掛けるなんてほとんど記憶にないくらいの状況だった。おじいちゃんもおばあちゃんもそれだけ一生懸命大じいさまのことを大切にしていたんだね。

 

 だいぶん脱線したけど話を戻して、おじいちゃんとおばあちゃんが冷静に大じいさまを見送ったことを思い出したときに、お父さんも「おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなったら冷静に見送ってあげたい、自信をもって見送ってあげたい、そうするにはおじいちゃんやおばあちゃんが元気なうちからお父さんがしっかりと人生を歩んで安心させてあげなくては・・・」と思ったの。

 

 そうして、いよいよこの前9月におじいちゃんが亡くなったわけだ。お父さんを含めて兄弟姉妹4人いるけどみんなで力を合わせてちゃんと冷静に見送ることができたと思う。涙を流して悲しみながら見送るよりも和やかに良い送り方ができたと思ってる。

 

 おじいちゃんも大じいさまと同じで在宅介護だったけど、兄夫婦が本当に良く面倒を見てくれて感謝だ。特に兄嫁には本当にお世話になった。感謝しかないね。

 

 あなたたちもお父さんやお母さんといつかは必ずお別れの時がやってくる。その時に自信をもって堂々と見送ってほしい。

 

 涙なんか流さなくていい、みんなで和やかに送ってちょうだい。そうできるようにしっかりと人生を歩んでね。

 

 今回はちょっと長くなったけど大事なことだから伝えておくよ。

 

 

ゲン担ぎ

カツカレーを食べて勝負に「勝つ」!!

 

 「験(げん)を担(かつ)ぐ」って知ってるかい?

 

 「縁起(えんぎ)などを担ぐこと。特に以前やってみて良かった瑣末(さまつ=重要でない小さなこと)な行いなどを縁起が良いと考えて再び行うこと。」(実用日本語表現辞典)という意味だ。

 

 例えば、昔、あるプロ野球の監督さんが、試合に勝った時のパンツをゲンを担いで次の試合にもはくということを聞いたことがある。ホントかどうか知らないけどね。

 

 仮に、ある時、学校の試験の日の朝にハンバーグを食べたら成績が良かったとしよう。それにあやかって、その後はいつも試験の日の朝は必ずハンバーグを食べるとか、そういうのを「ゲンを担ぐ」とか「ゲン担ぎ」というの。

 

 テレビで、選挙の時に議員さんが選挙に勝つためにゲンを担いで「かつ丼」とか「カツカレー」なんかを食べているのを見たことがある。他にもスポーツ選手だったかな、パンツや靴下は必ず右足からはく、とかね。

 

 そういう風に、あることをした時に何かの結果が良かったからそれと同じことを繰り返すんだな。

 

 そんな、同じパンツをはいて試合に勝てたり、かつ丼やカツカレーを食べて選挙に当選したり、試験の成績が良かったり、合格したり、スポーツなどの試合に勝てたら世話ないよね。そんなわけがない。

 

 「ゲン担ぎ」も「運勢占い」と同じであてにならないもんだよ。

 

 「ゲン担ぎ」を気にしすぎて、「強迫性障害」という病気になって生活に支障が出てしまうこともあるらしい。自分が決めた「ゲン担ぎ」をやらなかったり、やり忘れたりするとかえって不安になって落ち着かなくなるんだな。

 

 さっきの例で言うと、試験の朝、ハンバーグを食べなかったら不安で不安でしょうがなくなって、試験なんて手につかなくなるんだ。そうなったら何やってるか分かんないね。ゲンを担いで病気になったんじゃ意味がない。本末転倒だよ。

 

 だから、あなたたちも「ゲン担ぎ」や「運勢占い」などあてにならないものに振り回されないで、しっかりと自分のやるべきことをやって前に進んでほしい。

 

 そうして、失敗することがあればそれを素直に受け入れて、反省して次に同じ失敗を繰り返さないように努力していくしかない。

 

 つまらんことを気にする前にやるべきことをやろう!!

 

 

運勢占い

今日は「友引」
下には「失言は 放つ矢の如(ごと)し」
「服薬は凶なり。争い事生じやすき日、馬乗り始め、治療始め等よし。」
と、書いてあるね。
治療を始めて良いなら薬を飲んでもよさそうだけど・・・⁇

 

 運についての話をしたのでちょっと続き・・・

 

 世の中には、いろいろな運勢占いがあるものだ。星占い、トランプなどのカード占い、生年月日や手相、血液型による占い、姓名判断などなどたくさんある。

 

 西洋から入ってきたものや中国から入ってきたものなど様々だ。

 

 よくカレンダーにも「大安」とか「仏滅」とかが書いてあるよね。これは六曜(ろくよう・りくよう)といって、運勢の良い日、悪い日を意味するものだ。今でも仕事のイベントや個人的なお祝い事などをするときに基準とする人は意外と多い。

 

 他にも「先勝」「先負」「赤口」「友引」などがあって、全部で6つあるから六曜なんだね。例えば、「先勝」は午前中に物事をするには運勢が良いけれど、午後からは良くないとか、「先負」はその逆で午前中は運勢が悪いけど午後からは良くなるとか。

 

 「大安」が吉日として一番良い日で、「仏滅」が凶日として一番悪い日とされている。よく結婚式や不動産(土地や建物)の売買なんかは「仏滅」をさけて「大安」の日を選んで行うことが多い。

 

 お父さんは、そういうことを気にするかというとあまり気にしない。

 

 なぜなら、大じいさまやおじいちゃん、おばあちゃんから「神様が、いちいち良い日、悪い日なんて作るわけがない。そんなものは人間が勝手に作って言っているだけだ。」と教えてくれたからね。たしかに、太陽やお月様など大自然の営みがそんなことを基準にして運航しているわけがない。

 

 「大安」がすべての人にとって良い日となるわけではないし、逆に「仏滅」がすべての人にとって悪い日になるわけでもない。

 毎回、世界中の人が「大安」の日に良いことがあって、「仏滅」の日には悪いことが起きる。というのであれば、お父さんも信じるけど、そうではないからね。

 

 今日は、「大安」だから、あれをやろうこれをやろう、今日は「仏滅」だからこれをひかえようとか、今日は「仏滅」だからひどい目にあって運が悪かった・・・・

なんてことをいちいち気にしていたら生きてけないよ。

 

 そういうことを気にする前にもっと気にしなきゃいけないことがあるだろう、と思っちゃう。例えば、もっと礼儀正しくするとか、自分の性格の悪いところを直す努力をするとか・・・その方が、よっぽど幸運に恵まれると思うよ。

 

 お父さんの仕事でも、たまにそういう運勢とかをすごく気にするお客さんがいるけど、かえっていろいろなトラブルに巻き込まれているような気がする。

 

 ちなみに、お父さんとお母さんは「仏滅」に結婚式を挙げた!

 結婚式場は貸し切りだったよ(笑)

 

 「仏滅」の日に結婚してから20年になるけれど、あなたたち子供3人を授かって、家族仲良く幸せに暮らしているし特に問題もない。

 

 運が向くか向かないかは、「大安」や「仏滅」などで決まるのではなくて、自分次第なんだよ。自分が「良い日」にするか「悪い日」にするかなんだと思う。自分の行動や考え方次第で良くなったり悪くなったりするもんだ。

 

 占いなども、確かに当たることもあると思う。当たることがあるから、みんな信じるし、昔からそういうものがあるんだろうね。

 

 お父さんも、興味半分で占ってもらったことがあるし、バースデイブック(誕生日の星座占い)がはやった時には買って読んだこともある。

 

 確かに当たっている部分もあるけど、そうでない部分もある。

 

 お父さんとまったく同じ日に生まれた人が、まったく同じ人生を歩むのなら信じるけど、そんなことはあり得ない。

 生まれた年は違うけどお父さんと同じ誕生日の人を何人か知っているけれど、性格も人生も全く違う。ま、当たり前だけどね。

 

 結局、当たりはずれがあるということだ。本当のことなら、100%当たらないとおかしいけれど、けしてそうではない。

 

 だから、あなたたちも当たったり外れたりするようなあいまいなことに振り回されないで、しっかり地に足をつけて人生を歩んでほしい。

 

 

運が悪いのは行いも悪い?

やったー!! 一発で大吉!!
でも、運だけでは生きていけません・・・

 

 よく運がいいとか悪いとかいうよね。

 お父さんもたまに「今日は運が悪かった・・・」とか逆に「めちゃラッキーだった!」って言うことがある。

 

 車の運転をしていても、普段なら気を付けて問題ないのに、「まさかこんなところで」というようなところで思わぬ事故にあったり、逆に一瞬、冷っとする場面でも、事故にならずにうまく避けられたりする時もある。

 

 仕事でもお客さんとの信頼関係ができて順調に行くときともあれば、普段なら必ずする連絡をちょっと忘れて、コミュニケーションがうまくいかずにクレームになったりすることもある。

 

 一旦、ボタンを掛け違えると、そのお客さんとはなかなかうまくかみ合わなくなってしまうもんだ。そういう時は、いつもより気を付けて丁寧にしているつもりでもミスが出て、よりちぐはぐになってしまうこともある。

 

 お父さんが振り返って、自分の経験を踏まえて思うのは、学校の部活動の試合や発表会、テストなどの大事な場面で体調を崩したり、大人でも仕事の大事な場面でミスが出たり、運悪く事故や病気になったりするのは、やはり、普段からの生活態度や考え方が間違っていると起きやすいということだ。

 

 何かに不平不満を持っていたり、隠し事をしていたり、ごまかしたり・・・

 

 わがままを言って自分のやりたいことだけやって、勉強やお家の手伝いしなかったり、お父さんやお母さんの言うことを素直に聞かなかったり、やるべきことをやらないと何が起きてくるか分からない。

 

 もちろん、すべてが「これが原因で病気になった」と直接に、そして具体的につながるわけではないけれど、「運が悪いな・・・」と思うことが起きるということは、何か反省すべき点があるのだろうと思う。

 

 良いことも悪いことも、小さなことの積み重ねの上で「結果」につながるということだ。

 

 人生、「原因」なくして「結果」なし。

 

 少しでも善い行いを積み重ねていけば、知らず知らずのうちに「良い結果」=「幸運」に恵まれるし、そうでなければ「悪い結果」=「不運」になるだろう。

 

 善い行いを積み重ねて「幸運」に恵まれる人生を送ってくださいね。