善悪の判断が大事だということは、少し違った言い方をすればその人の人間性(性格や考え方)が大事だということだ。
じゃあ、二つほどたとえ話をしたいと思う。
包丁があるね。包丁は何に使う道具だい?
そうそう「料理を作るための道具」だよね。普通はそう考える。美味しい料理を作って食べる人に喜んでもらう。包丁はその美味しい料理を作るときに野菜やお肉、お魚など切るための道具だ。
しかし、使い方を間違えると人殺しの道具にもなってしまう!!
殺人と言えば大変な犯罪だ。包丁は、使う人の善悪の判断、つまりその人の人間性によって料理を作って人を喜ばせるための良い道具にも、犯罪のための悪い道具にもなりうるという事なんだ。
パソコンで考えてみよう。
パソコンはすごく便利だよね。お父さんも仕事でよく使うよ。文章を作成したり、いろいろな難しい計算を瞬時に計算してくれたり。いちいち手紙を郵便で送らなくても、メールを使えば一瞬のうちに相手に伝えたいことを伝えることができる。
あなたたちもいろいろゲームをして遊ぶでしょ?
その文章を作成したり、数字を計算したり、メールを送ったり、ゲームをしたりというのは、そういういろいろな個別のソフトをパソコンに入れて動かすわけだ。でも、その個別のソフトを動かすためには、パソコンの基本ソフト(Windows10とか)が必要なんだ。どんなに便利な個別のソフトがあっても、それをパソコンに入れた時に基本ソフトが古かったり、壊れていて動かなかったらその個別のソフトも動かないし使えない。
「包丁や個別のソフト」は、料理やパソコンを使うときの「道具」だ。
これを人間にあてはめて考えてみると、「包丁や個別のソフト」のような「道具」にあたるのが「知識や技術」だ。どんなに立派な「知識や技術」を身につけても、人間性(パソコンで言うと基本ソフト)がしっかりしていないとその「知識や技術」を人の役に立つことに使うことができないし、むしろ悪いことに使ってしまうこともある。
だから、勉強して立派な「知識や技術」を身につけることは大事だけど、それ以上にその基になる人間性を磨くことや、「正しい善悪の判断基準」を身につけることがもっともっと大事だ。そして、その「正しい善悪の判断基準」にしたがって「知識や技術」を使うことが大切なんだ。