一昨年、東京オリンピックがあったね、そして、昨年は北京オリンピックがあった。選手が、それまで一生懸命努力してきた成果を発揮するために精一杯の力を出し切って戦う姿は美しい。結果、運・不運があったりして勝つことも負けることもあるけど、それもまたすがすがしいものだ。
スポーツに限らず勉強でも仕事でもなんでもそうだけど、お父さんの経験からいうと、人は「自分のために」頑張るのは限界があって、「誰かのために」と思うと限界なく頑張ることができる、と思ってる。
「限界がない」というとちょっと大げさかもしれないけど、少なくとも「自分のために」の場合に比べて大きな違いがあるとお父さんは感じている。
「自分のために」は、自分が基準になるから、自分で「あ~、もうしんどいし、これでやめよ」とか「まあ、ここまでやれたらそこそこ満足だし、もういいや」ってなっちゃうとそれで終わり。
しかし、これが「誰かのため」、要は自分以外の人のためとなると、「その人を喜ばせたい」「その人の役に立ちたい」「その人を満足させたい」といって、「その人(誰か)」が基準になるから、それを達成するまでどれだけでも頑張ることができる。もちろん、臨んだ結果を達成できないこともあるだろうけど、それは仕方がない。
そして、人間っていうのはその「誰か」を喜ばせることによって、自分の存在価値(を認識し)が高まり、誇りをもって前を向いて生きていけるようにできていると思う。
「自分」のことだけ考えて「自分」の満足だけを考えて生きていても、充実感や達成感、生きている喜びや誇りが湧いてくるものではなく、「誰かのために」生きて初めて湧いてくるものだと思う。
言い方を変えれば、自分が「誰かに必要とされる」ことによって、自分の生きる喜びや誇り、充実感が得られるということだ。
さらに言えば、「誰か」ではなくもっと大きな「地域」や「国」、そして「世界」とその対象が大きければより素晴らしいし、自分が想像する以上の力が発揮できるだろう。
なかなか「世界」となるとピンとこないし、お父さんもそこまではできないけれど、少なくても自分の仕事を通じて、「地域」や「国」のために役に立つことができるようにと思って毎日仕事に励んでいるよ。
お父さんの仕事は、目の前にいる依頼者の希望にそった解決ができ、その人が喜んでくれることはもちろん、その解決がその依頼者のみならず、地域の人のためになることは良くあることなんだよ。
そういう仕事は大変だし苦労も多いけど、「依頼者のために、地域のためになんとかしなきゃいけない」と思うと、自然に力が湧いてくる。これが自分のためだと思ったら、きっと途中で投げ出しちゃうね。
人によっては、「自分の楽しみを追求するだけで十分満足だぜ!」という人もいるかもしれない。しかし、歳を取って人生を振り返った時に本当にそう言えるのか疑問だ。きっと最後は淋しい人生の終わり方になるような気がする・・・
あなたたちも、「自分のために」ではなく、まずは「誰かのために」ということを考えて行動してほしい。そして、ぜひ「地域」や「国」のために生きてほしいと思う。そうすれば自然に、思いもかけないいろいろなことが自分にプラスになって帰ってくるよ!