お父さんの大事な話

~ 子供に伝えたい!! お父さんの熱い思いをひたすら語るブログです ~

わがまま(利己主義)はがん細胞と同じ

桜は日本人の心
和を以て貴しとなす
本来、日本人はわがままじゃないはずなんだけどな・・・

 

 人間って、いくつぐらいの細胞の数からできていると思う?

体重60㎏で約60兆個だって!!(最近の説では37兆個という説もあるらしい)

いずれにせよ人間は、ものすごくたくさんの数の細胞でできているってことだ。(そう考えたら100兆円を超える国家予算ってすごい金額だな・・・)

 

 そして、そのものすごい数の細胞が集まって、心臓、肝臓、腎臓、胃、腸、脳や肺などの器官を作り、それぞれの器官が役割を果たして、全体的にうまく調和して我々人間は活動できるってことだ。

 

 心臓の働きを見てみよう。心臓は何も意識しなくても毎日大量の血液を体中に運んでくれる。いったいどれくらいの量の血液を運んでくれるかというと、心臓が1回ドクンとなると約80㏄の血液が送り出させるらしい。それが1分間に約70回、1日に約8000リットルという想像もつかないような大量の血液を自分の知らないうちに体中に送り出してくれているということだ。

 ちなみに、8000リットルというのは、ふつうのおうちのお風呂の約30杯分、一生分だと20万トンのタンカーを一杯にするくらいの量なんだって!(インターネット 心不全の基礎知識 日経BPスペシャル)

 

 心臓だけではなく、目でものを見て、耳で音を聞いて、鼻で匂いをかいで、舌で味を味わう。食べたものを胃や腸で消化し、ウンチやおしっこにしていらないものを体の外に出す。髪の毛や爪も自然に生えてくる。

(お父さんはだいぶん薄くなってきたけどな…ほっといてくれ)

 

 人間の体は本当によくできている。不思議と驚きがいっぱいだ!

 自然の力ってすごいね!

 

 そして、皆それぞれもくもくとその役割を果たして、体全体の調和がとれて健康でいられるわけだ。

 

 それがもし、ある日突然みんなわがままを言いだして、心臓が「オレは、今日疲れたから休みたいな~たまには爪になりたい!」とか、髪の毛が急に「なんか、ただちょっとずつ伸びるのつまんねーし、それに毎日ドライヤーあてられて熱いし、オレはやっぱり胃になりたい!」とか言い出したら体の調和が保てないだろ?

 最悪なのはがん細胞だ。こいつは自分の増殖(ぞうしょく=増えること)しか考えない利己主義(りこしゅぎ=自分だけの利益をはかること)で、最高にわがままな奴だ。他のことなんかどうでもいい。ただただ、自分のことだけを考えて増え続ける厄介(やっかい)な奴だ。

 そして、増え続けた結果どうなるかというと、体全体の機能が停止し人間は死んでしまう。結果、その体が死んでなくなるということは、自分のことだけを考えて増え続けたがん細胞も死んでしまうということだ!

 

 自分のことだけを考えてわがままなことをしていると、全体がおかしくなり、結局、自分も死んでしまうことになる。それが「がん細胞増殖」の結末だ。

 

 これは、人間世界でもいっしょ。自分ひとりで生きているわけではない。家族や地域や国があって、その中で我々は生きている。一人一人のわがままが、家族を壊し地域や社会を壊し、国家を滅ぼす。世界が滅びる時が来るかもしれない。

 

 今、ロシアがウクライナを侵略している。国単位の世界でも同じだよ。わがままな国があれば世界が滅びることになる。

 

 家族、学校、会社、地域、国家・・・小さな組織から大きな組織までいろいろな組織があるけれどどれも一緒だ。人と人の関係も国と国の関係も同じ。

 

 今は、個人主義と言って個人が尊重(そんちょう=大事にされる)される時代だけど、何でも自由にわがまま放題やっていいわけではない。それをはき違えてわがままな人間(利己主義な人間)が増えると、がん細胞と一緒で最後はその組織全体がおかしくなり、自分も困ることになる。

 

 自分(個人)は、全体(国・地域・家族)の中の一部だ。体と一緒で、全体の中で自分の役割を果たし、全体の調和を保つ中で、自分の存在価値が発揮されるんだよ。常に全体と自分の関係を考えながらわがままにならないようにしなければならない。

 

 全体との関係なしに自分は存在しない。全体との関係を切り離して自分のことだけを考えても物事はうまくいかないんだ。全体の中で、どうすれば自分の役割を果たすことができるか、お互いに足らないところを補い合って助け合うことができるかが大事だ。それが、全体を良くし、結果、自分も生かされて輝くことになるんだよ。

 

 わがままはいけない。個人主義をはき違えて自由を振りかざし、他人のことや全体のことを考えないで振る舞う人間はがん細胞と同じだ。そういう人間が増えたら社会はおかしくなるし、国もつぶれる。国がつぶれたら我々個人の幸せもない。

 

 あなたたちはそんな人間にならないで、人の役に立つ、社会の役に立つ、国の役に立つ人間になってね!

 

「自分のために」ではなく「誰かのために」

まずは身近な人のために・・・

 

 一昨年、東京オリンピックがあったね、そして、昨年は北京オリンピックがあった。選手が、それまで一生懸命努力してきた成果を発揮するために精一杯の力を出し切って戦う姿は美しい。結果、運・不運があったりして勝つことも負けることもあるけど、それもまたすがすがしいものだ。

 

 スポーツに限らず勉強でも仕事でもなんでもそうだけど、お父さんの経験からいうと、人は「自分のために」頑張るのは限界があって、「誰かのために」と思うと限界なく頑張ることができる、と思ってる。

 

 「限界がない」というとちょっと大げさかもしれないけど、少なくとも「自分のために」の場合に比べて大きな違いがあるとお父さんは感じている。

 

 「自分のために」は、自分が基準になるから、自分で「あ~、もうしんどいし、これでやめよ」とか「まあ、ここまでやれたらそこそこ満足だし、もういいや」ってなっちゃうとそれで終わり。

 

 しかし、これが「誰かのため」、要は自分以外の人のためとなると、「その人を喜ばせたい」「その人の役に立ちたい」「その人を満足させたい」といって、「その人(誰か)」が基準になるから、それを達成するまでどれだけでも頑張ることができる。もちろん、臨んだ結果を達成できないこともあるだろうけど、それは仕方がない。

 

 そして、人間っていうのはその「誰か」を喜ばせることによって、自分の存在価値(を認識し)が高まり、誇りをもって前を向いて生きていけるようにできていると思う。

 

 「自分」のことだけ考えて「自分」の満足だけを考えて生きていても、充実感や達成感、生きている喜びや誇りが湧いてくるものではなく、「誰かのために」生きて初めて湧いてくるものだと思う。

 

 言い方を変えれば、自分が「誰かに必要とされる」ことによって、自分の生きる喜びや誇り、充実感が得られるということだ。

 

 さらに言えば、「誰か」ではなくもっと大きな「地域」や「国」、そして「世界」とその対象が大きければより素晴らしいし、自分が想像する以上の力が発揮できるだろう。

 

 なかなか「世界」となるとピンとこないし、お父さんもそこまではできないけれど、少なくても自分の仕事を通じて、「地域」や「国」のために役に立つことができるようにと思って毎日仕事に励んでいるよ。

 

 お父さんの仕事は、目の前にいる依頼者の希望にそった解決ができ、その人が喜んでくれることはもちろん、その解決がその依頼者のみならず、地域の人のためになることは良くあることなんだよ。

 

 そういう仕事は大変だし苦労も多いけど、「依頼者のために、地域のためになんとかしなきゃいけない」と思うと、自然に力が湧いてくる。これが自分のためだと思ったら、きっと途中で投げ出しちゃうね。

 

 人によっては、「自分の楽しみを追求するだけで十分満足だぜ!」という人もいるかもしれない。しかし、歳を取って人生を振り返った時に本当にそう言えるのか疑問だ。きっと最後は淋しい人生の終わり方になるような気がする・・・

 

 あなたたちも、「自分のために」ではなく、まずは「誰かのために」ということを考えて行動してほしい。そして、ぜひ「地域」や「国」のために生きてほしいと思う。そうすれば自然に、思いもかけないいろいろなことが自分にプラスになって帰ってくるよ!

 

「自分の人生」か?

「人生」楽ありゃ苦もあるさ…(by 水戸黄門
日の当たる「人生」を送ってほしいということで…

 

 よく「自分の人生だから自分で自由に決めたい」とか「一度きりの人生、自分の人生だから楽しく生きていきたい」といった感じで「自分の人生」という言い方をすることがあるよね。

 

 もちろん、「自分の人生」だし、間違っているわけではない。お父さんもたまに「自分の人生」という言い方をすることはある。

 

 しかし、よくよく考えてみると、本当に「自分の人生」と言えるのか?

 言っていいのかな?と思う時がある。

 

 それは、なぜかというと、自分の「心や体」もすべて自分で作ったものなら、それはまさに「自分の人生」と言えるかもしれないが、実際はそうではない。

 

 私たちの「心や体」は、両親を通して作られたものだ。

 

 そして、その両親のそのまた両親・・・ずっとさかのぼると人間の始まりまで行ってしまうけど、要はご先祖様からずっとつながってきて、両親があって自分があるということだ。

 

 もし、父と母のどちらかが違っていたら今の自分はないし、両親に限らずご先祖様の誰か一人でも違ったら今の自分はない。

 

 しかも、その仕組み自体も我々人間が創ったわけではなく、自然の摂理(せつり=自然界を支配している法則)としてそうなっているわけだ。

 

 だから、私たちは自然の摂理として、ご先祖様からつながってきて両親を通して、この世に存在するということだ。

 

 そう考えると、我々の人生は「自分の人生」ではなくて「与えられた人生」と言えるのではないだろうか?少なくともお父さんはそう思う。

 

 そうしたら、その「与えられた人生」を何に使うのか?

 

 ただ楽しい人生を送りたい、お金をたくさん儲けて、おいしいもん食べて、趣味を楽しんで、贅沢(ぜいたく)して・・・・

 

 自分が楽しむためだけに人生を費やす(ついやす=使う)のか?

 

 まあ、今の世の中、「あたりまえや、それで何が悪い!」っていう人もたくさんいるだろうね。残念ながら・・・

 

 でも、お父さんはそうは思わない。もちろん、お金も欲しいし、自分の楽しいこともしたいよ。ただ、人生はそれだけじゃ何のために生きているのか分からない。やっぱり「誰かのために、世の中のために役に立つ人生を送りたい」とお父さんは思っている。

 

 お父さんの仕事は、法律関係の仕事で難しいこともたくさんあるけど、仕事がうまくいって、依頼者の方に喜んでもらえたらとても嬉しいし、ほんの少しではあるけれど世の中のために役にたったかな、と誇りに思えるものだ。

 

 だから、あなたたちも、ただ「楽しい人生を送りたい」ということだけじゃなく、人のために役に立つ、世の中のために役に立つ人生を送ってほしい。

 

すべてを受け入れる(人間万事塞翁が馬)

お兄ちゃん作 「馬」
なかなか上手なもんだ!

 

 人生、なかなか思うようにいかないものだ。悩みや苦労のない人生なんてないよ。

そんな偉そうなこと言っても、お父さんもまだ50代前半。人生80年、90年生きてきた大先輩から見ればひよっこだ。お父さんもこれからまだまだ大変なことがいっぱい待ち受けていると思う。

 

 それを考えると寝らんなくなっちゃうから考えないようにしてる…半分冗談で半分本気

 

 人生、楽しいときもあれば辛くて苦しいときもある。子供時代にいじめられて辛かったこと、大学を卒業した年に手術して就職をどうしようか悩んだこと、国家資格を目指したけどなかなか受からなくて受験勉強に苦しんだこと、結婚がなかなか決まらずに辛かったこと、結婚してからなかなか子供に恵まれずに夫婦で悩んだこと、仕事が大変でしんどかったこと・・・いろいろあった。

 

 でも、今、あなたたち3人の子供に恵まれ、本当に幸せだ。いろんな苦労を乗り越えて今がある。本当に、まじめに頑張ってきてよかったと思う。ただ、これからも幸せが続く保証なんて何にもない。だから、お母さんと力を合わせて、これからもまじめに頑張っていくつもりだ。

 

 お父さんなりに苦労してきた中で、大事にしてきた言葉がある。大事にしてきた言葉はたくさんあるけど、これもその一つだ。

 

 それは・・・

 

人間万事塞翁が馬=にんげんばんじさいおうがうま」

 

 これは、「人生、思いがけないことが幸福を招いたり、不幸につながったりして、誰にも予測はつかないということ。また、だからやたらに喜んだり悲しんだりしてもはじまらないということ。」という意味だ。(学研 古事ことわざ辞典)

 

 ≪「塞翁」は昔中国で、北辺の国境近くに住んでいた老人のこと。あるとき、その老人の馬が逃げてしまったが(不幸)、間もなくその馬がすぐれた一頭の馬を連れて戻ってきたので人々が祝福した(幸)。ところが老人の子がその馬に乗って落ち、けがをしてしまった(不幸)。だが、けがをしたおかげで、若者たちがほとんど戦死したというのに、老人の子は兵役をまぬがれて死なずにすんだ(幸)。≫(同辞典)

 

 だから、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、嬉しいことや楽しいことに一喜一憂(いっきいちゆう=情勢が変わるたびに、喜んだり心配して、気をもむこと。)せずに、すべてを受け入れて淡々(たんたん=あっさりしている様子。さっぱりしていて物事にこだわらない様子)と自分のすべきことを一生懸命やるしかない。お父さんはそう思う。

 

 ま~なかなかできないけどね!

 

でも、お父さんはそうありたいと強く思うよ。

 

 

あ・お・い・く・ま・・・「まけるな」

これからまた寒い冬がやってくる
しんどいことに負けないで…

 

 これは、前に「負けていけ」というお話をしたから、「言ってることが違うんじゃないの?」「矛盾(むじゅん…つじつまが合わないこと)してるんじゃないの?」と思うかもしれないね。

 

 でも、そうじゃない。とするとどういう意味だと思う?

 

 「負けていけ」は、相手(他人)に対して、「負けていけ」ということだったよね。

今回の、「負けるな」は、「相手(他人)に負けるな」という意味ではなくて、「自分に負けるな」という意味だ。「自分の弱い心に負けるな」ということだね。

 

 「克己心(こっきしん)」という言葉がある。「自分のなまけ心や欲望に打ち勝つ」という意味だ。人間、誰だって楽したいし、しんどいことはしたくない。でも、だいたい「良いこと」っていうのは、面倒だったり大変だったりすることが多い。

 

 AかBの二つのうちどちらか一つを選べなきゃいけない場合に、Aを選んだほうが良いことは分かっているけどめんどくさい場合と、Bを選べば楽だけど結果はどうなるか分からない場合に、どれだけAを選ぶことができるかが大事だ。

 

 例えば、友達とケンカした時に、自分から謝って仲直りするか、ほっておいてその結果、その友達とは仲直りできずにそのまま友達でなくなってしまうような場合、どちらが良いだろうか?

 「自分から謝るのは嫌だなあ」と思っても、その自分の弱い心に打ち勝って、ちょっと勇気を出して、一言「ごめんね」といって仲直りすれば、友達を一人なくさずにすむね。

 

 人生は、こういう選択(いろいろある中からどれかを選ぶこと)する場面の連続だ。

 

 何気ない日常生活の中で、この小さな選択の積み重ねの中から、どれだけたくさん良い方を選ぶことができるかどうかが、実は、あなたたちの人生がより良いものになるかならないかに大きな影響を及ぼすんだよ。

 

 人生は、残念ながら二つの道をやり比べることができない。日常の小さな選択も、どこの高校や大学を受験するとか、どこの会社に就職するとかの大きな選択も二つやってみてから決めることはできない。

 

 そして、日常の小さな選択の中で、なるべくたくさん良い方の選択を積み重ねるためには、「克己心」が重要になってくる。さっきも言ったけど、良いことというのはだいたいめんどくさいことや大変なことが多い。自分の弱い心を乗り越えて、そのめんどくさいことや大変なことから逃げずに正面から向き合っていく努力が必要だ。

 

 もちろん100が100、全部完璧に良い方を選択することなんかできない。でも、頑張って、しんどくてもより良い方を選ぶように頑張ろう!

 

参考 母さんの「あおいくま」 コロッケ著 (新潮文庫

 

参考に過去の記事を貼りつけておくね。

nikkokun0103.hatenablog.jp

 

あ・お・い・く・ま・・・「くさるな」

陽はまた昇る!
くさらずに明日に向かって頑張ろう!

 

 人間誰でも、自分の思うようにいかないことがあったり失敗したりすると、へこんだり、自己嫌悪(じこけんお=自分で自分がいやになること)に陥(おちい)ったり、自暴自棄(じぼうじき=自分の思い通りにならなくてやけになること)になって「もうどうでもいいや!」って思ってしまうことはあることだ。

 

 そんなことないって?

 

 もし、そうなったことがない人がいたら、それは、よっぽど強くて素晴らしい人か、はたまた運のいい人か、単に自惚れ(うぬぼれ=実際以上に自分のことが優れていると思っていること)が強い大バカ者だね・・・。

 

 お父さんも、「オレってダメだな~、なんもできないな~」って思ったり、「何のために生まれてきたんだろう?」とか、自分に自信がなくなって悩むことがあるよ。

 

 でも、そこであきらめて何も努力しなくなったら、人生それで終わりだ。人生は厳粛(げんしゅく=まじめできびしいこと、動かしがたいこと)だ。自分が、人生という舞台から降りたらそれで終わり。誰も変わってくれない。仮に、誰かがあなたたちの代わりに努力して、あなたたちの人生を良いものにしてくれようとしたとしてもそれは無理だ。

 

 人生という舞台で演じられるのは自分自身だけ。演劇なら代役で何とかなるだろうけど、人生はそうはいかない。誰かに代わってもらうことはできないんだよ。

 

 まして、自分の思うように物事がうまくいかないからと、くさってしまって、しかも、うまくいかない理由を他人のせいにしたり、自分以外の周りの環境のせいにしているようでは、悪くなることはあっても良くなるはずがない。

 

「天は自ら助くる者を助く」という言葉がある。「神は、人に頼らず自ら努力する者にすすんで助力する。」という意味だ。結局は、良くなるのも悪くなるのも自分次第ということだ。

 

 だから、うまくいかないことがあったり、何かを失敗して自信がなくなることがあったとしても、けして、くさることなく、少しづつでいいから前を向いて努力していこう。

 

参考 母さんの「あおいくま」 コロッケ著 (新潮文庫

 

あ・お・い・く・ま・・・「いばるな」

実れば実るほど頭を下げる・・・あんたはエライ!!

 

 「実るほど頭(こうべ)を垂(た)れる稲穂(いなほ)かな」ということわざがある。意味は、「小人物ほど尊大(そんだい)にふるまい、すぐれた人物になればなるほど、謙虚(けんきょ)になるものだ。」ということ。「尊大」は「自分がえらいと思って人を見下すこと」で、要はえらそうな態度を取ることだね。反対に「謙虚」は「素直で自分がえらいとは思わないこと」で、人に対してえらそうな態度を取らないことだ。

 稲穂は、実れば実るほど穂先をたれ、頭を下げることからこういうことわざができたらしい。見習いたいものだね。

 

 大じいさまの先生も「人間はえらくなるといばる。中身のないものほど飾りたがる。」とおっしゃっていばることを戒(いまし)められた。

 

 「能ある鷹(たか)は爪を隠す」ともいう。これは「真に優れた才能を持っている人は、日頃はその才能をむやみにひけらかすようなまねはしない」という意味だ。

 

 中身のない人間ほど地位や名誉をほしがり、また、地位や能力が上がると下の人を見下すようになる。人間、えらくなったら終わり。謙虚さがなくなると、自分が常に正しいと思ってしまってそれ以上の成長はない。そして、まわりの人との人間関係もうまくいかなくなってしまう。

 

 どんなに勉強やスポーツが人よりできようが、大人になってどんなに仕事ができて地位が上がろうが、力がつけばつくほど、能力が高くなればなるほど、人に対しては頭を低く、腰を低くしていかなければならないね。まわりの人の意見を受け入れる素直さが大切だ。前に「素直に受け入れる」という話をしたね。

 

 これは頭では分かっていても、なかなか態度で示すことは難しい。お父さんもついついえらそうな態度を取ってしまうことがあるから反省だ。気をつけます・・・

 

 まわりの人に対して、いばってばかりいたら最後には誰からも相手にしてもらえなくなってしまうから気をつけよう。

 

参考 母さんの「あおいくま」 コロッケ著 (新潮文庫

 

 

nikkokun0103.hatenablog.jp