日の当たる「人生」を送ってほしいということで…
よく「自分の人生だから自分で自由に決めたい」とか「一度きりの人生、自分の人生だから楽しく生きていきたい」といった感じで「自分の人生」という言い方をすることがあるよね。
もちろん、「自分の人生」だし、間違っているわけではない。お父さんもたまに「自分の人生」という言い方をすることはある。
しかし、よくよく考えてみると、本当に「自分の人生」と言えるのか?
言っていいのかな?と思う時がある。
それは、なぜかというと、自分の「心や体」もすべて自分で作ったものなら、それはまさに「自分の人生」と言えるかもしれないが、実際はそうではない。
私たちの「心や体」は、両親を通して作られたものだ。
そして、その両親のそのまた両親・・・ずっとさかのぼると人間の始まりまで行ってしまうけど、要はご先祖様からずっとつながってきて、両親があって自分があるということだ。
もし、父と母のどちらかが違っていたら今の自分はないし、両親に限らずご先祖様の誰か一人でも違ったら今の自分はない。
しかも、その仕組み自体も我々人間が創ったわけではなく、自然の摂理(せつり=自然界を支配している法則)としてそうなっているわけだ。
だから、私たちは自然の摂理として、ご先祖様からつながってきて両親を通して、この世に存在するということだ。
そう考えると、我々の人生は「自分の人生」ではなくて「与えられた人生」と言えるのではないだろうか?少なくともお父さんはそう思う。
そうしたら、その「与えられた人生」を何に使うのか?
ただ楽しい人生を送りたい、お金をたくさん儲けて、おいしいもん食べて、趣味を楽しんで、贅沢(ぜいたく)して・・・・
自分が楽しむためだけに人生を費やす(ついやす=使う)のか?
まあ、今の世の中、「あたりまえや、それで何が悪い!」っていう人もたくさんいるだろうね。残念ながら・・・
でも、お父さんはそうは思わない。もちろん、お金も欲しいし、自分の楽しいこともしたいよ。ただ、人生はそれだけじゃ何のために生きているのか分からない。やっぱり「誰かのために、世の中のために役に立つ人生を送りたい」とお父さんは思っている。
お父さんの仕事は、法律関係の仕事で難しいこともたくさんあるけど、仕事がうまくいって、依頼者の方に喜んでもらえたらとても嬉しいし、ほんの少しではあるけれど世の中のために役にたったかな、と誇りに思えるものだ。
だから、あなたたちも、ただ「楽しい人生を送りたい」ということだけじゃなく、人のために役に立つ、世の中のために役に立つ人生を送ってほしい。