お父さんの大事な話

~ 子供に伝えたい!! お父さんの熱い思いをひたすら語るブログです ~

金を追うな、追われるようになれ

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「人生のゴール」ってなんだろう?
出世か??  金持ちか??

 

 もう一つ「お金」の話をしよう。大じいさまから教えてもらった言葉で「金を追うな、追われるようになれ」という言葉がある。これもお父さんが大切にしている言葉だ。

 

 子供の時は「お金に追われるようになれって言ったって・・・、そりゃお金が追っかけてきてくれたらそんな楽なことはないよな~」と思ってた。それに、「普通に会社に勤めてサラリーマンだったら給料も決まっているだろうし、お金が追っかけてくることなんてないよな」とも思ってた。

 

 しかし、大人になっていろいろ経験して考えてみると、これは大じいさまの言葉のとおりで損得計算せずに、前回の話のように「人の喜ぶこと」別の言い方をすれば「人のためになる仕事」を一生懸命していると自然に仕事が増える(収入が増える)ことは間違いない。お父さんは自営業(事務所を経営している)だからよく分かる。

 

 じゃあ、サラリーマン(会社などに勤めて給料をもらっている人)はそうじゃないかと言ったらそんなことはない。サラリーマンだって一緒だと思うよ。

 

 会社の中で他の社員が嫌がることを一生懸命やる、会社のために一生懸命働く、そして何より大事なのが会社の仕事を通じて世の中の人が喜ぶことをするということだ。そうすれば自然に会社の中でも出世するだろうし、給料も自然に上がる。

 

 言い方を変えれば、会社の中でも外でも仕事を通して人の喜ぶことを一生懸命する、自然と会社が儲かる、会社が儲かれば自分も出世し、自然に収入も増えるということだ。

 

 お父さんのような自営業であろうがサラリーマンであろうが、自分の「お金が欲しい」とか「出世したい」という思いが強いと、もしくはその思いだけだと、損得計算が先になって自分を基準に損するか得するかしか考えないようになる。そういう人間は人から好かれないし信頼されないから結局はお金も入らないし出世もしない。仮に出世したとしても、それは一時的なことでいつかは必ずつまずく。

 

 ただ、サラリーマンの場合に大事なのは、そもそもその勤めている会社が世の中のため人のために役立つ仕事をする会社かどうかということだ。会社自体が、自分の会社の金儲けしか考えていない会社ならそんな会社で一生懸命働いたって世の中のため人のためにはならない。だから会社に就職する時には、給料が多いとか休みが多いとかだけで選ぶのではなくて、本当にその会社が世の中のため人のために役に立っている会社かどうかをしっかり見て、考えてから選ばなきゃいけないね。

 

 あなたたちがこれからどういう道に進むのかはまだ分からないけど、このことをしっかり頭に入れて、一生懸命勉強して世の中の役に立つ大人になってほしい。

 

 けして金儲けや出世のことだけを考える人間にはならないでね!!

 

お金を稼ぐということ

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お金持ちになりたいよね~
どうやったらお金を稼げるんだろう・・・??

 

 ちょっと話を変えて、お金の話をしようか。みんなも成長するにつれて気になることだよね。

 

 お父さんの仕事場には、中学生や高校生、大学生がインターンシップと言って職場体験、ようは仕事の体験に来るんだ。中学生は15年以上前から、高校生と大学生は10年くらい前からかな、受け入れてきた。ここ1、2年は仕事の都合や新型コロナウィルスの関係で受け入れできなかったけど。

 

 期間は、中学生と高校生が2~3日、大学生は1週間から2週間くらい。事務所にいるだけでなく役所や裁判所に連れて行ったりもしてあげる。本物の裁判を見せてあげるとけっこう喜んでくれる。ま、実際の裁判はテレビドラマと全然違って地味~な感じだけどね。

 

 それで、職場体験に来た生徒に必ず聞くことがあるんだ。それは、「お金を稼ぐってどういうこと?」っていう質問。すると大抵は「仕事をする」と返事が返ってくる。「じゃあ、仕事をするとどうしてお金がもらえるの?」と聞くと、けっこうそこでつまる子が多い。「労働の対価(たいか)」(難しい言葉だね、まあ働いたお礼と言っておこうか)という子もいる。そこで、お父さんは「だからなんで働くとお金(お礼)をもらえるの?」と聞き返す。中には、「お!それそれ!」って正解を言ってくれる子もいるけどなかなかいないね。

 

 お父さんが考える正解は「自分が人に喜んでもらえることをしたお礼にお金がもらえる」ということだ。つまり「仕事」というのは「人に喜んでもらえることをすること」だ。

 

 大じいさまも「人の喜びを我が喜びとせよ」と教えてくれた。「人を喜ばせて、人が喜んでいるのを見て自分の喜びとしなさい」ってことだ。お父さんがすごく大事にしている言葉だよ。

 

 大むかし、お金のなかった時代は、物と物を交換していた。物々交換だね。物だけじゃなくていろいろな技術やサービスがある。獲物を捕ってくるのが上手な人、その道具を作るのが上手な人、着る服を作るのが上手な人、竪穴式住居を作るのが上手な人・・・。

 

 ここでは分かりやすく「物」で考えてみよう。相手が持っている「物」を自分がほしいと思ったときに、自分も相手がほしいと思っている「物」を提供(相手に差し出すこと)しなければ物々交換は成り立たない。相手が気前よく「いいよ、あげるよ!」って言ってくれる場合はいいかもしれないが、そうでなきゃ無理やり奪い取るか(強奪=ごうだつ)、だまして取るか(詐欺=さぎ)、盗むか(窃盗=せっとう)しないと手に入らないよね。そんなことしたら犯罪だ。

 

 だから、物々交換というのはお互いに相手に「喜んでもらえる物」を提供しなければ成り立たない。

 

 そして、人が増え市場(いちば)ができて決まった日に物々交換するようになった。今度はいちいち物々交換するのが面倒だから「貨幣(かへい)」つまりお金ができてお金と交換で何でも手に入れる、買うことができるようになった。昔は、貨幣として「お金」の代わりに「塩」や「米」を使っていたこともあるらしい。

 

 だから、「物」から「お金」に代わっただけだから根本(一番大切なこと)はいっしょで、自分が相手に「喜んでもらえる物」を提供しないと「お金」はもらえないということだ。

 

「物」だけじゃなくて「技術」や「サービス」でも同じことで、「人に喜んでもらえること」を提供して初めて「お金」がもらえるということだよ。

 

 だから、例えばギャンブル(賭け事)や宝くじ、株取引(会社の株を売ったり買ったりして儲けること・・・ちょっと難しいかな?)などでお金が手に入ったとしても、それは本当の意味でのお金じゃないとお父さんは思ってる。

 

 現代は、より社会(世の中)が複雑になって、いろいろなお金の儲け方(もうけかた)があるかもしれないが、ちゃんと汗水たらして働いて相手から「ありがとう」って心から感謝されてもらう「お金」が本当の「お金」だよ。これは本当に大事なことだから絶対忘れないでいてほしい。あなたたちが将来どういう仕事をするようになるのか今はまだ分からないけど、仕事を選ぶときにこの考え方を大事にして選んでほしい。



言葉づかい

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柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺・・・
日本には美しい景色と言葉がたくさんある

 

 食事をするときの行儀や気持ちのいいあいさつが大事だという話をしたけれど、礼儀の中で大事なことを一つ忘れてた。

 

 それは「言葉づかい」だ。お父さんは口が悪いからいつもお母さんに「お父さんは口が悪い!!」って叱られちゃう・・・。

 仕事中も「えーい、クソッ!」とか言ってブツブツぼやいたり、テレビ見てても「アホかボケ!」とか言っちゃうから良くないね。それはお父さんの悪いところだ。まねしないでほしい。

 

 最近の若い人は(と言い出したらもうだいぶん年寄りだね・・・)、年上の人に気を遣って尊敬語など丁寧な言葉を使う人が少ないような気がする。使っても使い方を間違えてたり・・・。お父さんも完璧には使いこなせてないかもしれないけど、若い人のそういうところは気になるね。

 

 お父さんも同じ職業の先輩などで親しい先輩にはタメ口のように話をすることもあるけど、それは時と場合による。親しい先輩でも基本的にはいつでも丁寧に話できるようにしている。

 

 自分の態度や言葉づかいで、人に与える印象は良くも悪くもなる。当たり前だね。前にも言ったけど、感じの悪いものは感じが悪いし、いいものはいい。これは理屈じゃない。自分や相手の人の頭がいいとか悪いとかも関係ない。感覚、印象だ。

 

 大人になって働くようになって、言葉づかいが悪かったり、ろくなあいさつもできないような失礼な態度ではそれだけで信用されないし、相手にされないよ。

 

 礼儀正しくするということは、誰かに何かをしてもらう話ではない。自分がちょっと気をつけて努力するだけでできることだ。ちょっと努力して礼儀正しくするだけで、人生大分得するぞ!!

 

気持ちのいいあいさつ

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一番下のボクの作品
「気持ちのいいあいさつ」ができるようになろう!

 

 前回は食べるときの行儀の話をしたね。食べるときに行儀を良くするというのも礼儀正しくすることの一つだ。

 

 ところで「礼儀」ってなんだろう?辞書で調べると「相手に対して失礼にならないような態度やふるまい。」ちなみに「行儀」は「礼儀にかなった動作のしかた。」って書いてある。

 

 じゃあ、「相手に対して失礼にならないような態度やふるまい。」って、どういうことなのかもう少しわかりやすく考えてみよう。

 

 例えば、「おはようございます」「こんにちは」などの「あいさつ」をしっかりする、間違えたり人に迷惑をかけたら素直に「ごめんなさい」と謝る、年上の人に対する言葉遣いや、年下の人に対しても威張ったりしない、相手との約束を守る、時間を守る、などが考えられるね。

 

 すべて大事なことだけど、お父さんは、まずは「あいさつ」がとても大事だと思う。それもただ言えばいいというわけではなく「気持ちのいいあいさつ」が大事だ。

 

 ふてくされた態度で、相手を見ずに、どこを見てるか分からない状態で、小さな声でボソッと「おはようございます」って言ったって相手に伝わらないね。相手を見て、笑顔で元気よく「おはようございます」って言った方が気持ちがいい。これは理屈じゃない。感じの悪いものは感じが悪いし、感じのいいものは感じがいい。人が受け取る印象というものはそういうものだ。

 

 お父さんがどんなに仕事の知識があっても、「あの人、あいさつもしないし感じが悪いから嫌い」って言われたら仕事は来ない。やっぱり相手に与える印象は大事だ。

 

 大人の人でもちゃんとしたあいさつができない人がいるけど、やっぱり感じが悪いし、その人は損してるなあ、とお父さんは思う。

 

 もちろん、あいさつにもいろいろあって、気楽なあいさつもあれば、丁寧にお辞儀をして頭を下げてするあいさつもある。まずは丁寧なあいさつができること。それを基本に、時と場合によって、いろいろ使い分けられるようになるといいね。

小さな事からコツコツと・・・

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ちゃんと持てるかな?

 

 食べ物の好き嫌いの話をしたけど、食べるときの行儀についても少しお話をしたいと思う。

 

 食べるときのお箸の持ち方やクチャクチャと音を立てて食べたらいけないとかご飯や味噌汁の置く場所、茶碗の持ち方、姿勢などお父さんはあなたたちに「ちゃんとしなさい!」って、結構うるさく言うよね。

 

 「食べられれば箸の持ち方なんかどうでもいいやんか!うるさいな~」って、思うだろ?でも、お父さんはそうは思わない。食べるときの正しい箸の持ち方、姿勢、お茶碗などを置く場所は、小さなことのようだけどとても大事なことだと思う。

 

 それは、長い年月をかけて(長い年月がかかったかどうか分からないけど)、これが正しいといわれるようになった箸の持ちや姿勢、お茶碗を置く場所などは、見た目に美しいし、動きも合理的(ムダがない)だ。

 

 この「見た目に美しくきれい」ということは大事で、他の人が見たときに見た目に気持ち良く感じるか、不快(いやな感じ)に感じるかは理屈じゃない。やはり人に不快(いやな感じ)を与えないようにしなきゃいけない。

 

 食べるときにクチャクチャ音を立てたり、箸の持ち方がヘンテコだったり、ご飯や味噌汁、おかずがテーブルにバラバラに置いてあったり、座敷(ざしき)にしろ椅子(いす)にしろ、あぐらや足を横に出したり、膝を立てたり足を組んだりして食べたりする姿は、他から見ていてやっぱり感じのいいもんじゃない。それは理屈じゃないんだ。

 

 今は、そういうことを厳しく言う親が少なくなったから、ヘンテコな箸の持ち方や行儀悪い食べ方をしても、それをあまりヘンテコと思わないようになってきているかもしれない。でも、お父さんはそれじゃいけないと思うし、せめてあなたたちには行儀良くご飯を食べる習慣をつけてほしい。

 

 そして、そういう小さなことも努力できないようでは、立派な大人になれるはずがない。何事も小さなことからコツコツと努力して、「向上心」、つまり、自分の悪いところを直して、良くなろうという心をもって努力することが大事だ。

 

 

 

米粒の気持ち

 

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ごちそうさま??

 

 食べ物の好き嫌いが多い人の中には、嫌いな物を残して簡単に捨ててしまう人がいるね。(最近は、好き嫌いだけでなく、本当は食べられるのにダイエットを気にして捨ててしまう人もいる・・・)お父さんは、あれは食べ物がもったいないし、料理を作ってくれた人に申し訳ないことだなと思う。

 

 そして、料理を作ってくれた人だけではなく、いろいろな人に申し訳ないことなんだ。それはどういうことかというと、お父さんやあなたたちが料理を口にすることができるのは、いろいろな人のおかげで成り立っているということだ。

 

 その料理の材料となる穀物(こくもつ)や野菜を作ったり、魚を捕ってきたり、お肉の元となる動物を飼育してくれた人(農家・漁業・畜産など)、それを缶詰やレトルトパック、冷凍食品など様々な形に食べやすいように調理してくれる人(加工)、加工した食品も加工していない食品も含めて市場やスーパーマーケットなどに運んでくれた人(運送)、スーパーマーケットやコンビニなどのお店で販売してくれた人(小売)、最後にお店や家庭で料理を作ってくれた人(飲食店のコックさんやお母さんなど家族の人たち)など、いろいろな人たちのおかげで、やっとおいしい料理を口にすることができるんだ。

 

 そして、なにより穀物や野菜、魚やお肉などは「自然の恵み」がなければ成長・生育はない。この「自然の恵み」のおかげでみんなおいしい食べ物を口にすることができる。

 

 この「自然の恵み」に、そして料理を口にするまでに関わってくださった多くの人たちに感謝しなきゃならない。この感謝の気持ちがあれば、そう簡単に食べ物を捨てるなんて粗末(そまつ)に扱うことはできないはずだ。

 

 ご飯一粒も残さずに食べることが大事。茶碗に米粒がいっぱいついたまま「ごちそうさま」する人がいるけど、一粒も残さずに食べてほしい。

 もし、自分がその残されたお米だったらどう思う?「ボクも農家の人に一生懸命育ててもらって、そして運ばれて売られて、炊いてもらってみんなと同じご飯になったのにボクは食べてくれないのかい?捨てちゃうのかい?そんなのいやだよ~!悲しいよ~!」って思わないかい?

 

 もちろん、体調が悪かったりして、どうしても食べられない時はあると思う。それは、仕方がない。でも、そういうときでも「残してごめんなさい。」という気持ちが大切だと思う。そして、感謝の気持ちを持って、できるだけ好き嫌いで食べ物を捨てたりせずに残さずに食べてほしい。食べ物を粗末にしないように!

 

食べ物の好き嫌い②

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小学校3年生くらいの時に嫌いだった納豆が突然おいしくなって食べられるようになった。

今では毎朝食べている。お父さんの健康の源だ!


 これはお父さんの偏見(勝手な思い込み)だけど、食べ物の好き嫌いが多い人はわがままな人が多いように思う。もちろんアレルギーなどの体質(健康上の問題)によって食べることができない物が多いというのは別だよ。そうではなくて体質的に問題なく食べることができるのに、自分の好き嫌いだけで食べられないもの(食べたくないもの)が多い人の話だ。

 

 誰だって一つや二つくらいはどうしても苦手という食べ物があるかもしれない。この程度は仕方がないと思う。でも、苦手な食べ物がたくさんあるということは、それを克服(食べられるように)しようとする努力をしていないんじゃないかな。

 

 嫌いな食べ物を食べられるようにしようというのは努力のいることだ。そして、この努力をするためには「向上心」(自分を良くしよう、良くなろうという心)が必要だ。

 

 食べ物の好き嫌いが多い人は、この「向上心」が足りないような気がする。一事が万事(一つのことを見れば、他のすべてのこともほぼ推測できるという意味)で、「向上心」がないということは、自分の悪いところを直そうという努力をしないということだ。

 

 そういう人は、「我慢」ができないし、自分が「好きか嫌いか」「やりたいかやりたくないか」という基準でしか物事を判断しないので、周りから見ると「わがままな人」に見えてしまうことになる。と、お父さんは思う。

 

 お父さんも経験があるけど、嫌いな物でも我慢して食べていると、あるとき急に「あれ?これうまいやん!!いける!!めちゃうまい!!」ってなって大好きになることがよくある。お父さんの場合は、納豆がそうだった。日本が誇る健康食品!今では大好きで毎朝食べてる。だから、あなたたちも嫌いな物でも我慢して食べ続けて欲しい。

 

 まずは食べ物の好き嫌いをなくすことが第一歩。そして、食べ物の好き嫌いだけではなく、自分の悪いところ、欠点を少しでも直そうという「向上心」をもって努力をしてほしい。お父さんもまだまだ努力中だ・・・